《Re:think “知ってる花”の、知らない横顔》vol.3 知らないチューリップの横顔を探す旅 ― 埼玉県深谷市・田尻華園を訪ねて Part 1
深谷という土地が育てた、チューリップのはじまり

2026年2月9日。
前日の寒波で関東にも雪が降った週末明け。まだところどころに雪の残る朝、私たちは埼玉県深谷市を訪れました。
今回お話を聞かせてくださったのは、JAふかやチューリップ部会の部会長・村田久仁子さん。そして、深谷市で代々チューリップを栽培されている田尻華園の田尻重之さんです。
花屋の私たちは、普段花に触れている時間は多いけれど、育ってきた環境やルーツを知ることは簡単ではありません。
(花が話せたら、いろんなことを聞いてみることができそうですが、残念ながらそのようなこともなく…。)
チームとして伺う産地見学は、保科バラ園に続いて2回目。
バラとチューリップ、どちらも知名度の高い花ですが、全く異なる性質をもつ花です。
今回の産地見学では、そんな普段はみることのできない、知られざるチューリップの生産風景について、たくさんお話を伺うことができました。
全国でも有数の出荷量を誇る、深谷のチューリップ

埼玉県深谷市は、新潟県・富山県に次ぐ、切花チューリップ生産量の産地です。
その歴史は古く、昭和30年代にはすでに始まっていたと村田さんは教えてくださいました。
チューリップ栽培に欠かせないのが「冷蔵処理」。
球根を一定期間冷やす工程が必要です。一見すると設備も技術も必要で、簡単に始められるものではなさそうに感じます。
ところが深谷では、意外にも自然な流れでチューリップ生産が根づいたといいます。
理由は、この土地の産業背景にありました。
養蚕文化がつないだ技術
かつて深谷では養蚕が盛んでした。
卵を年に数回孵化させるために、冷蔵庫で温度管理を行う技術がすでにあったのです。
「もともと生産者に冷蔵の知識があったので、チューリップの冷蔵処理も受け入れやすかったのだと思います」
と村田さん。

深谷は、決して肥沃な土地ではなかったそうです。
だからこそ養蚕が発展しました。
そして、冬場の桑が育たない時期の“裏作”として、チューリップが導入されたのです。
明治から大正時代、渋沢栄一の時代背景の中で広がった北関東の養蚕文化。
その流れが、いまのチューリップ産地につながっています。
花の背景には、こうした歴史が折り重なっている。
深谷のチューリップは、土地と産業の記憶を受け継いでいました。
深谷チューリップの強み

「深谷ならではの強みは何ですか?」
一番に聞きたかった質問です。
答えは、やはり環境。
太平洋側の長い日照時間。
ほどよく乾燥した気候。
そして、深谷地区の豊かな水。
この恵まれた環境で育つことで、チューリップはハリがあり、しっかりとした質感に仕上がるといいます。
同じ球根でも、土地が変われば表情は変わる。
花は、育った環境を映す鏡のようだと感じました。
変わり咲きチューリップの宝庫、田尻華園

田尻さんは、お父様から受け継いだハウスでチューリップを育てています。
物心ついたときから、チューリップが身近にある暮らしだったそうです。
現在はすべて水耕栽培。
ハウスには約5万7千本、80品種以上が育てられています。
JAふかや部会の中でも最多の品種数だとか。
ぎっしりと植え付けられた青々としたチューリップの光景は圧巻でした。

特に印象的だったのは、変わり咲きの多さです。
パーロット咲き、ゆり咲き、フリンジ咲きなど、いわゆるスタンダードな一重・八重とは異なる咲き方。
ハウスの約半数が変わり咲きだといいます。

市場の需要に応じて毎年球根の買い付けバランスは変わります。
ちなみに球根の買い付けはほとんどシーズン中に終わってしまうのだそうです。
淡い色のチューリップは球根が繊細なことが多い。
日本人の感覚で春らしいといえばパステルカラーは鉄板ですが、繊細で弱い個体も多く、原産国オランダで作られなくなっていくこともあるといいます。
「そもそもオランダ人と日本人の色彩感覚が違うから仕入れも難しい。淡い色だと思ったら濃い色なんてことも。」
わずかな情報をもとに予測しながらの仕入れ。
その裏側には、経験と読み、そして挑戦があります。
今年の&YOUKAENのテーマ
「知ってるチューリップの知らない横顔」
その横顔をつくっているのは、こうした選択の積み重ねでした。
深谷のチューリップがどう育ち、どんな未来を見ているのか。
その続きはパート2で、さらに深くお伝えします。
Feb 25, 2026
